サブカル女子には成れない

ぼくの棚で陽気なギャングとステーシーがJ-POPうたってる

ドグラ・マグラは通る道なのか

大学受験勉強を開始したころ、約20年前(この受験勉強は結局無駄になった、いつか書くかもしれない)。カセットテープからMDに変わり、ポケットベルのために公衆電話に長蛇の列を作っていた女子高生がPHSや携帯電話を手にしはじめたあたりだと思う。『めちゃイケ』でヨモギダくんが目立ちたがりな素人の星になり、役目を終えようとしていたルーズソックスは広げると股下より長く、携帯電話はてのひらより小さいバー型でアンテナがあった。
街中で携帯電話を持った手をゆらゆらさせ電波を探す人たちがいた。アンテナを髪の毛で擦ると電波がよくなる! というのは嘘だったと思ってる。

わたしは20cmくらいの、手足に針金が入ったピンクパンサーの人形を携帯電話にぶら下げており、先生方に「はずせとは言わないけど、職員室へ来るときは置いてきなさい」と注意されていた。置き忘れ、参考書片手に先生をたずねると、針金を駆使して彼のスリムな手足をごねごねにされた。それだけで許された。
シマシマボーダーの靴下も真っ赤なカバンもファー付きのコートも5センチのヒールも、校則違反だったらしいがルーズソックスとミニスカートに紛れてか見つかったことがない。
わたしはどちらかというと勉強熱心で、なのに学内試験は中の上程度。文系クラスなのに数学と物理が得意で、英語が総合点を下げていた。勉学で注目されるのは全国模試と作文や小論文のみ。目立たず大人しく毒も灰汁もなく、教師の視界にほとんど入らない生徒だった。校則を知らなかったので悪気がなく、コソコソもしていなかったせいかもしれない。

特に仲のいい人はいなかったけれど、ぼっちではなかった。グループを作ったつもりはないが、校外での活動に重きを置いている人が自然と集まっていた気がする。
高校生のぢょしグループってやつは(わたしの周りだけかもしれんが)、例えば校内彼氏ができた人がだいたい欠ける。欠けた部分にスルリと誰かが入り込み、彼氏と別れてスッと戻るやつがいた。永遠にいなくなったやつもいる。
結束力が弱く、協調性もあまりなく、なんとなくガッコでひとりじゃなあ……という空気の集まり。共通していたのは、みんなカラオケが好き。歌うジャンルはバラバラだった。
部活をしてなかったので帰宅はだいたいひとりだった。気楽で、気楽すぎて、月に1・2回レンタルビデオ屋(VHS!)に寄り、CDを借りた。懐かしいものから全然知らないバンド、存在は知っていたけど聞いたことがなかったミュージシャン。
図書館でもCDを借りていた。突然段ボールあぶらだこINUじゃがたら友部正人・たま・筋肉少女帯高田渡――司書の趣味かもしれない。
なにを聞いていたか忘れてしまったくらいたくさん借りた。演劇で使うよな効果音CDも聞いた。水の効果音集が好きだった。川のせせらぎ、水中遊泳を思わせるポコ……ポコ……と空気の揺れる音、ゆらぎを感じてふわふわしていれば突然の水洗トイレを流す音。
洋楽は聞かなかった。英語はちょっと……。

図書館の興味をひくCDをほとんど聞いてしまったころ、そういえばしばらく読書してないなとレンタルビデオ屋の正面にあった大型商業施設の本屋へ行った。文庫が欲しかった。人もまばらな店内で棚を眺めていると、平積みの中、ある表紙が目についた。
ヘロヘロのタッチ。アンニュイな表情。レトロ。女性。下半身に焼きのり(とわたしは呼んでるキンカクシの女性版)。一言で下品。目につかないわけがない。未成年が制服で手に取っていいものかちょっと悩んだ。
角川か、なら大丈夫かしら。上下巻あるらしい。
そうっと手に取る。パラパラ見た。
なるほど意味が分からない。

ドグラ・マグラ
アングラやサブカルにニョッコイ顔を出したことがある人なら、知らない人はいないんじゃなかろうか。当時のわたしは知らなかった。インターネットが一部にしか普及してない時代。アングラという言葉も知らなかった。
親の影響。完全に、親の影響。
両親は「普通」をたいへん好んでいて、それは団塊世代の中でも特にクソな部類が言う「苦学生的普通」であり、高校生は漫画を読まないし友達と遊ばないしおしゃれもしないし勉強とアルバイトと家のお手伝いのために生きるものだという思い返せば理不尽な「普通」だったのだけれど、わたしは「その普通から外れること」に生命の危機を意識するほど恐れていて、しかしエログロが好きだった。大好きだった。
つまり買った。『ドグラ・マグラ』買った。
まず上記の理由により表紙をコンビニで捨てブックカバーをつけた。表紙買いなのに。

帰宅して夕食を作り、洗濯や掃除をし、体の不自由な母の介助をしつつ風呂に入り、勉強をし、寝る時間は12時過ぎる。
諸事情により自由空間はロフトベッドの中だけだったので、布団をかぶり、小学生が工作で作るような乾電池式の豆電球をつまむ。そのほんの小さな光で『ドグラ・マグラ』を開いた。
豆電球をページに押し当てれば、存外明るい。指先は熱くなる。
よく目が悪くならなかったもんだと思う。 当時、借りた漫画や本を読むときはコレか常夜灯だった。今でもたまに常夜灯で読書するが、視力は1.5あり乱視もない。

さて『ドグラ・マグラ』は、巻頭歌からはじまる。

胎児よ
胎児よ
何故踊る
母親の心がわかって
おそろしいのか

意味がわからない。だがすごい吸引力だった。なんだかよくわからないがぎゅいーんと吸い込まれ、THE BOOMの『子供らに花束を』の歌詞を思い出し、ふむふむと読み進めてみれば、吸引と同じ力で弾かれた。
読みにくい。えっらい読みにくい。「久しぶりに読書を」なんてカッコつけたことを考えた自分がアホに思えた。パラパラめくった時の「なるほど意味が分からない」という感想を信じればよかった。
気づいてしまったんだ。
そういやまともに読んでんの太宰治原田宗典大槻ケンヂくらいだったわ。
そして思い出した。
そもそもそんなに読書好きじゃねえや。
閉じた。しずかーに枕元に置いた。ポータブルCDプレイヤーの再生ボタンを押す。なにいれてたっけ――CDの回る音、1曲目を待つ。
流れたのはCOCCO。『クムイウタ』だった。

ガラケーからスマホに変えたのが5年前。早速インストールした青空文庫は愛用アプリのひとつ。
ドグラ・マグラ』もすぐにダウンロードしたと思う。はっきりとは覚えてないけど。
高校生だったわたしは、三十路って想像よりおとなじゃねえな! と思っていたわたしは、もうすぐアラフォー。
ドグラ・マグラ』は、未だに読了できていない。道が険しすぎて、入り口でずっとうろうろしている。
誰かあの、内容教えてください。わかりやすく。